■1937年 ERMA社製 Kar98k その2








視認性向上のため数字が白塗りされたリアサイト。他の手持ちKar98kと比べても部品の工作精度が高く、各部の動きもスムーズでカッチリとしている。







射距離調整の数字が打たれた裏側。各部に多くの刻印が確認できる。

・リアサイト本体・・・ 裏側にMauser Werke AG,Oberndorfを示すバッフェンアムト「63」が2つ、「4600」の製造番号と手書の「3296」。
・射距離調整スライダー上・・・ Mauser Werke AG,Oberndorfを示す「S/42」と「63」のバッフェンアムト。
・射距離調整スライダー下・・・ Berlin-Lubecker Maschinenfabrikを示す「26」のバッフェンアムトと「55」の刻印。






















フロントサイトにフードが無い銃口部。1939年以降の生産品にはフロントサイトを保護するフードが追加される。フードが無い初期生産品のKar98kも修理などで回収した際には、取り付け溝を加工しフードを追加する改修が行われている。




フロントサイト基部にはエルマ社「280」のバッフェンアムトと「K」(Karabinerを示す?)の刻印。







1941年製との比較。違いはフードの有無のみ。




H型のフロントバンド、エルマ社を示す「WaA77」のバッフェンアムト。




着剣装置の基部にも複数の刻印が確認できる。




クリーニングロッドも長いタイプ(320㎜)が装着されている。













積層材に板状バットプレートが付いた木製ストック。単材から積層材への切り替えは1938年以降順次、板状バットプレートからカップ型バットプレートへの切り替えが1939年12月以降なのでここで紹介している木製ストックは38年または39年製造と推測できる。







ストック右側面の刻印。国家鷲章(写真右側)の下、通常はドイツ陸軍(Heer)を示す「H」の文字が打たれる個所に「L」の文字があり、ドイツ空軍(Luftwaffe)へ納品されたKar98kであることがわかる。2つ並ぶ「WaA623」はSteyr-Daimler-Puch AG。













板状バットプレートは肩にフィットするよう僅かに湾曲している。ストックへの固定は2本の木ネジ。







ストックから外したバットプレート。オリジナルの製造番号「5019」は線で消され、別の数字「-39236-」が打たれている(戦後、ノルウェー軍の刻印か?)。中央には2㎜ほどのごく小さなバッフェンアムトがありエルマを示す「77」。




バットプレートで隠れるストック側にも刻印が打たれている。不鮮明だが「Bu 2 31 40」と読める。







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