■MG34 1943~1945年


雪原に置かれたラフェッテ34。白の防寒着を着た兵士は鹵獲したソビエト軍の半自動小銃「SVT-40」を持っている。1943年、ソビエト連邦。




ラフェッテにMG34を載せた場合、不要な突起物となるバットストックが外されている。弾薬箱は内部が未塗装のためアルミ製。手前に置かれたMP40はマガジンハウジングにプレスのリブが無い初期型、マガジンもリブが無い初期型に見える。1943年、ノルウェー/フィンランド。




第二次大戦中、ドイツ軍がノルウェーに建設した沿岸砲台ヴァラ(MKB 6/502 Vara)の内部に設置されたMG34。Schartenlafette 08 mit Gewehrträger 34という要塞専用の機関銃マウントに載っており、マウント後部には光学照準器(MGZ)の取り付けベースが設けられている。1943年。








ドイツ空軍の輸送グライダーとして使用されたDFS230にはコクピット後方に配置されたMG15に加え、胴体側面にもMG34が装備できる。このMG34は飛行中の対空火器として、着陸後は取り外し通常の機関銃として使用する。対空射撃を行う場合には事前に照準調整・試射を実施しコクピット横の機体側面に装着、弾薬は機内の弾薬箱から供給される。射撃時にはコッキングハンドルに接続されたワイヤーを引き発射準備完了。羽布張り胴体に設けられたジッパー付き開口部から手を機外に出し、パイロットの号令に従ってMG34のトリガーを操作する。射角調整ができないため命中はほぼ期待できない。発射ガスや発砲炎から機体を保護するため銃口部には保護板が設けられている。1943年、イタリア、シチリア島。






マーダーIIの戦闘室上部に設置されたMG34。50連ドラムマガジンを付け中央の2脚を使い車体に固定しているようだ。7.5cm対戦車砲の砲尾上部にも2挺のMP40がV字型に取り付けてある。1943年、イタリア。




ラフェッテ34で射撃を行う降下猟兵。6発ごとに曳光弾がセットされている。1943年、イタリア。




ベルトリンクにセットされた弾薬を確認する兵士。ベルトリンクへのセットミスが致命的な結果を引き起こすため確認は念入りに行う。1943年頃、南フランス。






2脚が無いMG34と弾帯を持った降下猟兵。弾薬は6発ごとに曳光弾がセットされている。1943年、ソビエト連邦。






パンを食べる降下猟兵。5発おきに曳光弾がセットされ、通常弾はスチール製薬莢、曳光弾は真鍮製薬莢のように見える。1943年、北イタリア。






小火器の清掃を行う兵士と分解されたMG34。1943年、ギリシャ、クレタ島。






氷と雪の南部戦線。標高2,000mの小さな窪地に展開する降下猟兵。MG34で眼下を警戒する。1943年12月、イタリア。




MG34の横で双眼鏡を覗く兵士。手前には弾薬箱、ヘルメット、50連ドラムマガジン、予備銃身ケースが、後方にはMG08が見える。1944年1月~2月、ソビエト連邦。






土手の壁に身を潜める小銃分隊でドイツ空軍の襟章が確認できる。写真左の兵士はKar98kと予備銃身ケースを背負い、34型弾薬箱と2つの50連ドラムマガジンを運搬できるコンテナを持っている。1944年1~2月、イタリア。












大西洋岸に設けられた蛸壺壕でMG34の射撃訓練を受ける自由インド兵団の兵士。MG34は中央と後部の2か所で固定されているため、射角調整ができないようにも見える。1944年春、フランス、ボルドー近郊。






海岸沿いに設置された初期型バレルジャケットを持つMG34だが、狭い壕内での都合上、通常とは反対方向の右側給弾になっている珍しいシーン。MG34は要塞や車内などの狭い場所でも柔軟に運用できるようフィードトレイとフィードアームの2つの部品を交換すれば右側給弾に対応する。1944年春、フランス、ボルドー、大西洋の壁。




MGZ34を覗きながら射撃を行う。1944年5月~6月、ソビエト連邦ヴィテブスク近郊。




対空射撃用支柱を取り付けたラフェッテ34。ラフェッテ本体はジャーマングレイのようだが支柱はダークイエロー系の明るい色で塗装されている。MG34も対空射撃用スパイダーサイトが付いており、リアサイトの対空射撃用照尺もセットされている。このまま射撃すると長く垂れ下がったベルトリンクが引き込めず作動不良を起こすため、給弾手が必要。1944年5月~6月、ソビエト連邦ヴィテブスク近郊。一つ上の掲載写真と撮影者が同じ。




背の高い草むらに配置されたMG34。ゴム製の銃口カバーが付いている。1944年、フランス、ブレ近郊。






パンサー戦車のエンジンデッキに乗る機関銃手。ダークイエローで塗装された34型弾薬箱が3つとラフェッテ34、奥にはより暗い色に見えるラフェッテ34がもう一つ確認できる。1944年、北フランス。




地面すれすれの高さに設置したラフェッテ34から射撃を行う兵士。ラフェッテはダークイエローで塗装され予備ボルトケースは未装着。1944年夏、ソビエト連邦。




ヘルメットを草で擬装した兵士がMG34を構え、後方には自転車が倒れている。1944年、フランス。




戦闘の合間に弾薬の清掃を行う武装親衛隊の兵士。1944年7月、ナルヴァ橋頭堡の戦い。






ルーマニアの将校に対して装甲兵員輸送車に装備されたMG34でデモンストレーションを行う兵士。1944年夏、ソビエト連邦/ルーマニア。




MG34が設置された蛸壺壕で監視する兵士。2脚は中央に装備、給弾は50連ドラムマガジン。後方のコンクリート製掩体壕は家屋に見えるよう擬装塗装が施されている。1944年、フランス、大西洋の壁。






写真キャプション「ドイツ/ヒトラー最後の派遣団:士官候補生として志願した青年たちは、ファシスト・ドイツ国防軍の擲弾兵大隊の演習に参加した。ここでは機関銃の取り扱い訓練を受けている。」

MG34を構えるヒットラーユーゲント。弾薬箱は41型、弾薬は弾頭先端が丸く見えるので空砲弾かもしれない。1944年8月。






大戦末期のドイツを象徴する有名な写真。ヨーゼフ・ゲッベルスが閲兵のもと、実施された国民突撃隊の行進。銃よりもパンツァーファウストが目立つ写真だが、手前に2挺のMG34が写っている。使用感の少ない綺麗なMG34はゴム製の銃口カバーが装着されているが、フィードカバーのベルトリンク送り部が逆向きになっており、組み立て方が間違っている。また、鉄製薬莢の50連弾帯は5発ごとに1発の曳光弾がセットされている。1944年11月12日、ドイツ、ベルリン。



同じ写真の右端に写る車載型のMG34。バレルジャケット中間の対空サイトアダプターは未装着。車載型MG34には2脚を収納位置で固定する金具が無いため、布のようなものを巻きつけて2脚を固定している。






写真キャプション「ザール川の掩蔽豪ではモーゼルラント州の国民突撃隊が重機関銃の指導と訓練を受けている。モーゼル地方の国民突撃隊の中には、息子に武器の使い方を教える父親もいる。」

要塞専用の銃架に載ったMG34。フィードトレイが通常とは逆向きとなる右側給弾用に交換されており、弾薬箱も銃の右側に配置されているようだ。1944年または1945年、モーゼル地方。




MG34を射撃する国民突撃隊。ダークイエローに塗装された41型弾薬箱を使っており、射撃中の弾薬はスチール製薬莢だが、弾薬箱内部の弾薬は真鍮製薬莢に見える。1945年2月、ポーランド南西部、シレジア。






チェコのスチール製ヘルメットを装備した国民突撃隊が車載型MG34で射撃。フロントサイトアダプターは付いているが、2脚と対空サイトアダプターは未装着。1945年4月初旬、ポーランド南西部、シレジア。




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