■MG34 1941年




「グロースドイッチュラント」歩兵連隊の予備大隊が参加した大規模な戦闘演習。木製弾頭の付いた空砲弾を使用。銃口の下にはMGZ34の運搬用コンテナが置かれている。1941年1月。この写真は数か所に修正が加えられている。




写真キャプション「占領下のフランス:パリの近衛連隊。軍事訓練は中断されない。近くのモンソー公園で機関銃の訓練を行うドイツ兵。」

写真右はMG34のフィードカバーを開けて装填訓練、左はボルト部品を持って説明中。1941年1月、フランス、パリ。







ジャーマングレイ塗装と思われる新品のようなラフェッテ34。マニュアルの指示通り、MG34のスリングはグリップ側を外している。双眼鏡を持つ下士官の右手下にはMGZ34の収納コンテナが見える。1941年フランス、演習中の撮影。






「降下猟兵がコリントスを燃やす。落下傘降下は成功。兵士と装備は強固な大地にあり、直ちに戦闘態勢へ移行する。一瞬にして、機関銃が敵に致命的なダメージを与えるだろう。」

伏せ撃ちでMG34を構える降下猟兵。リア・フロントサイトは共に折り畳み状態であり射撃中ではない。カメラマンの「ちょっと撮影するから銃を構えてくれよ」という要望に応じたような雰囲気。手前にはSF14Z(砲隊鏡)の木箱が置かれている。1941年、ギリシャ。






肩にMG34を乗せ、依託射撃を行う武装親衛隊師団「アドルフ・ヒトラー」の兵士。2脚を握る前方の兵士は2本の予備銃身を収納できるケースを背負っているが、この銃身ケースは主に車輌備え付け用。手前の下士官はマガジンハウジングに開いた穴からMP38のようで、即座に射撃できるよう、ボルトは後退位置にある。1941年、ユーゴスラビア。




砂浜が広がる沿岸要塞に設置されたMG34。1941年、フランス大西洋岸。






かなり使い込まれてブルーイング処理が薄くなっているように見えるMG34。50連ドラムマガジンを装着。1941年、ノルウェー。






兵士の肩にMG34を乗せた依託射撃。2脚が使用できず依託する対象物が無い場面において命中率を高める有効な射撃方法となるが、前方に立つ兵士の心的負担は大きい。反動を押さえるため前方の兵士は2脚の両脚を保持している。弾薬は弾頭が黒っぽく、先端が丸みを帯びているので空砲弾(木製弾頭)のようだ。1941年5月、北ポーランド。






中隊で使用する火器が更新された際の撮影写真。12挺のMG34、3挺のPzB39(対戦車ライフル)、3門の5cm leGrW 36(迫撃砲)、6挺のKar98kが写る。MG34は10挺が初期生産型。1941年6月、ポーランド、カレトニク。




50連ドラムマガジンを付けたMG34で射撃中の兵士。フィードカバーは削り出しの初期型に見える。1941年6月。






ドイツ兵の分隊が伏せており、その後方を牛を引き連れた女性が歩いている。1941年6月、ソビエト連邦。




バルバロッサ作戦、川を進む突撃ボート。船首にMG34を設置している。1941年6~7月、中央ソビエト連邦。




写真キャプション「ソビエト戦線にて。ボルシェビキは近くの小さな高台に塹壕を築いた。彼らはこの塹壕から放り出され、ドイツ兵が数時間占領した。ここに配置された武装親衛隊の機関銃手はすべてを見渡せる。SS PK:戦争記者 アルトシュタット。」

MG34を傍らに置き、双眼鏡で監視中。写真左には水筒の横に7.92×57㎜弾 紙製弾薬箱(300発入)が確認できる。1941年7月、ソビエト連邦。






自転車部隊の後方をSd.kfz.250が通過する。自転車に専用のブラケットを設けMG34を載せる方法は軍のマニュアルでも紹介されており、部隊での現地改修ではない。バットストックはMG34から外し、ハンドル後方の自転車フレームに取り付ける。1941年7月、ソビエト連邦北部、ラトビア。




MG34で武装した小型ボートで渡る武装親衛隊の兵士。1941年夏、ソビエト連邦。




フィンランドのカイララ海峡に新しい橋を架けるため、測量調査を行う兵士。対空照準器が付いたMG34が載る対空3脚はMG13用に似た形状となっており、3脚基部にはガンナーズツールポーチ、地面には弾薬箱が3つ置かれている。1941年8月。




藪の中を前進する武装親衛隊警察擲弾兵師団。機関銃本体は見えないが、中央の兵士はMG34の銃身を2本収納できる予備銃身ケースを背負っている。1941年8月、ソビエト連邦北部。




レニングラード近くに設けられた歩兵陣地。使い込まれたMG34の横で前線を監視中、後方では3人の兵士がKar98kの手入れを行っている。1941年8月~9月、ソビエト連邦。








50連ベルトリンクとドラムマガジンをそれぞれ装着したMG34。どちらのMG34も安全装置は「S」(sicher 安全)の位置にある。1941年9月、ソビエト連邦北部。






ドエニプル川を渡り、湿地帯にラフェッテ34を配置する兵士。弾帯の下方にある長方形の箱が予備ボルト収納ケース。1940年後半以降に生産されたラフェッテに取り付けられている。1941年9月2日、ソビエト連邦。






ロシアとウクライナを流れるプショール川の鉄橋を制圧後、展開するラフェッテ34。1941年9月2日、ソビエト連邦。






塹壕の端に設けられたMG34。初期生産型のMG34で、数発おきに曳光弾(弾頭先端部が黒い)が混じっているようだ。リアサイトの位置から射撃距離は1,000m程度と推測できる。予備ボルトケースが無いため、1940年後半以前に生産されたラフェッテ34であることが推測できる。1941年10月~11月、ソビエト連邦。




肩への依託でMG34を射撃するグロースドイッチュラント歩兵連隊の擲弾兵。銃のスリングを保持して反動を押さえており、予備の50連ドラムマガジンからはスタータータブが出ている。1941年11月、ソビエト連邦。






地平線を望む丘に設置されたラフェッテ34。リアサイトの位置から2,000mの遠方を射撃中。1941年11月、ソビエト連邦、ドミトリフカの東85キロ。






前脚を大きく前に出した変型姿勢のラフェッテ34。撮影日時が不明の写真だが、ラフェッテに予備ボルトケースが装備されていることから、1941年以降だと思われる。すでに50発以上を射撃しているようで、地面には空の50連ベルトリンクが落ちている。




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