■MG34 1942年 その2


丘を登る機関銃チーム。重量20kgのラフェッテ34を背負う兵士は大変そうだが、弾薬300発入りで10kgを超える弾薬箱を2つとKar98kを所持する弾薬手の方が身体的疲労は大きい。1942年8月、フランス、ディエップ近郊。














砂浜で伏せ撃ちの状態からMG34の銃身交換を行う練習の連続写真。機関部を回転させて過熱した銃身を引き抜く→隣の兵士から替えの銃身を受け取る→銃身を差し込む→機関部を閉じる→50連ドラムマガジンを装着し装填→フィードカバーを閉じる。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。






MG34を持ち、伏せている兵士。ヘルメットをかぶらず、銃のサイトも折り畳まれたまま。ベルトリンクに装着された弾頭先端は全弾黒になっており、曳光弾であることがわかる。1942年9月、ソビエト連邦スターリングラード。






室内からの射撃。2脚が反動で動かぬよう、兵士が押さえている。1942年秋、ソビエト連邦、スターリングラード攻防戦。






予備ボルト収納ケースが付いたラフェッテ34を設置中。後方には2輌の3号突撃砲F型が見える。1942年秋、ソビエト連邦。






スターリングラードの市街地。ソビエト軍が構築したバリケードを奪い、MG34を構える兵士。1942年10月、ソビエト連邦。








擱座したT-34を遮蔽物にして設置されたラフェッテ34。穴数の少ない通常型バレルジャケットだが、フィードカバーは削り出しの初期型となっている。1942年10~11月、ソビエト連邦。




一人で射撃中のように見えるが、射手の左側には給弾手が配置されている。初期型のバレルジャケットを持つMG34は冬季迷彩で白く塗装されている可能性がある。1942年10月~11月、ソビエト連邦。






1942年11月、ドイツ軍は南フランスのトゥーロン軍港を奇襲し軍港の無力化・停泊しているフランス艦隊の接収を狙う「リラ作戦」を実施。フランス海軍は戦艦3隻、巡洋艦7隻を含む70隻以上の艦艇を自沈させ対抗した。自沈した駆逐艦の姿を眺めるドイツ兵。足元には50連ドラムマガジンと銃口ゴムキャップが付いたMG34、ドラムマガジン運搬コンテナ、34型弾薬箱が置かれている。1942年11月27日、南フランス、トゥーロン。






MG34の射撃訓練を受けるドイツ空軍兵士。1942年、ソビエト連邦。








塹壕の火点からMG34を射撃中。中央に2脚を装着した場合、射角調整の自由度は増すものの、反動を押さえる効果は低減(命中率の低下)する。1942年、ソビエト連邦。




フィードカバーを開けて弾薬を装填するドイツ空軍の兵士。アルミ製と思われる弾薬箱は外観の塗装もほとんどが剥がれている。1942年、ソビエト連邦。






破壊された建物からラフェッテ34を移動させる兵士。ラフェッテ、MG34、弾帯100発の合計重量は35kgになるため二人で移動させる必要がある。1942年、ソビエト連邦。






塹壕に置かれたMG34。ベークライト製ストックは上下に金属製カバーの付いた初期型。1942年、北アフリカ、チュニジア。








カモフラージュされた塹壕に配置されたMG34。34型弾薬箱が2つと3つのコンテナに収納された50連ドラムマガジンが6個、予備銃身ケースがあり、全てジャーマングレイのような暗い色で塗装されているように見える。1942年、北アフリカ、チュニジア。






ダークイエローで塗装され擬装の草を取り付けたラフェッテ34。1942年、北アフリカ、チュニジア。






無線装甲車「グライフ」(Sd.Kfz.250/3) で食事中のロンメル将軍。車載のMG34は砂塵の影響かかなり白っぽくなっており、銃口キャップが装着されている。1942年、北アフリカ。




MG34を射撃中の降下猟兵。射手はラフェッテ34のトリガーに手を置き、奥には給弾手がいる。1942年、ソビエト連邦。




森の中でMG34を伏せ撃ちする武装親衛隊の兵士。薬莢が転がっているので射撃中のようだが、安全装置は掛かった状態にある。1942年、ソビエト連邦北部。






草むらに設置されたラフェッテ34を操作する武装親衛隊の兵士。弾頭が黒っぽいので木製弾頭の空砲弾かもしれない。1942年、ソビエト連邦。




ジャーマングレイで塗装された低姿勢状態のラフェッテ34。1942年冬、ソビエト連邦。








冬季迷彩でMG34を担ぐ第1降下猟兵連隊の兵士。1942年12月、ロシア、スモレンスク近郊。




第1降下猟兵連隊の兵士が機関銃陣地でMG34を構える。射角調整の範囲が広くなるよう2脚は後方に装備されている。1942年12月、ロシア、スモレンスク近郊。




MG34を持つ第1降下猟兵連隊の兵士。50連ドラムマガジンには部隊での管理番号と思われる数字が記されている。1942年12月、ロシア、スモレンスク近郊。撮影者は一つ上の写真と同じ。












1942年にドイツ海軍のカメラマンが撮影、という情報以外は詳細が不明な写真。ラフェッテ34の構造を大幅に簡略化したような銃架にMG34が搭載され、安全な位置で射撃できるよう大型の潜望鏡が付いている。3脚は折り畳みと、左右・上下の射角調整機構を有しており、マウントフレーム前方のコイルばねによって反動抑制機構も備えている可能性がある。潜望鏡を覗く兵士は肩章から海軍沿岸砲兵のようだ。この銃架は他の写真が無く、ごく少量の試作に留まった可能性が高い。




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