■Kar98k 1937~1942年




大統領官邸で開催された新年のレセプション。儀仗隊の前を歩く人物は左から、ヘルマン・ゲーリング、陸軍総司令官ベルナー・フォン・フリッチュ、海軍総司令官エーリヒ・レーダー、国防大臣ベルナー・フォン・ブロンベルク。この儀仗隊はKar98kを装備しているが、撮影当時は8万挺程度しか生産されておらず、配備先は限られていた。1937年1月11日、ベルリン。






国防軍の演習に参加中の第73歩兵連隊の第6中隊。撮影時期から新品に近い状態のKar98kと思われるが、金属部分は表面仕上げがかなり薄れているように見える。ガラス乾板からデータ化したこの写真は細部まで高精細に記録されている。1937年、メクレンブルク/ポメラニア。






写真キャプション「現在、ウィーンに滞在中の海軍司令官、海軍大将エーリヒ・レーダーは土曜日、ミヒャエル教会の海軍記念碑に献花を行った。」

献花式の後、教会の前に並んだドナウ艦隊儀仗隊の前を歩くレーダー提督とドナウ艦隊司令官ハインツ・デゲンハルト大佐。Kar98kはスリングを張って着剣。1938年6月、ウィーン。




キッツビュールで開催されたドイツアルペンスキー選手権での射撃シーン。スキー板を付けた参加選手が伏せ撃ちでKar98kを射撃する。1939年2月。






スペイン内戦終結後のコンドル軍団の帰還。プロイセン国立図書館とフリードリヒ2世記念碑を背景にパレードを行うコンドル軍団の兵士。銃剣を装着した初期型Kar98kを持っている。1939年6月6日、ベルリン、ウンター・デン・リンデン。






初期型Kar98kを背負った兵士が損傷した石畳の路面に応急の看板を立てている。1940年5月、フランス、ドゥナン。






西部戦線の田舎道を走るサイドカーの車列。オートバイ兵のKar98kには革製のリアサイトカバーが付いている。このカバーは騎兵隊、オートバイ、自転車部隊などの限られた範囲で使用されたようだが情報は少ない。写真の黄色矢印がKar98kとカバーの固定バンド、リアサイトを覆うカバー本体はクイックリリース式のベルト(白矢印)になっており、射撃時には迅速にカバーを外すことができる。オートバイと側車の間にはMG用の対空3脚架(Dreibein 34)が取り付けられている。1940年5月、ベルギー、ダインゼ近郊。








木造家屋の隣で34型クリーニングキット(Reinigungsgerät 34)を使いKar98kを清掃するドイツ空軍の兵士。1940年頃、デンマーク。




ルブリン、クラスニクの国防軍キャンプにいる第350歩兵連隊。談笑する兵士の後方、射撃練習台に伏せた兵士がボルト開放位置のKar98kを持っている。1940年頃、ポーランド。






演習で泥道を進むオートバイ兵。布製の機関部カバーを付けたKar98kを背負っている。1940年。






目に怪我を負った兵士を治療中。1940年5月、ベルギー西部。乗用車には治療用具が収まっていると思われるケースが開いており、ドアの内側には金属製銃口カバー付きのKar98kが装備されている。






北アフリカへ飛ぶユンカース Ju52 輸送機の横で待機するドイツ空軍兵士。無垢材に見える木製ストックと平型バットプレート、H型のフロントバンド、フロントサイトガードが無い銃口部など、極初期型Kar98kの特徴をすべて備えており、ゴム製の銃口キャップが付いている。白磨き仕上げのクロスボルト(木製ストック中央の円形部品)や撃針分解ディスクが目立つ。Kar98kの上に見えるのは対戦車ライフル(PzB39)。1941年初頭、地中海地域。




第1SS装甲師団、兵舎の庭で行われたKar98kの模擬射撃訓練。1941年3月、ベルリン、リヒターフェルデ。






降下猟兵に捕らえられたイギリス兵。狙撃用として幅広く使用された倍率4倍のスコープがターレット・マウント(Turret-Mount)と呼ばれるマウント金具を介して初期型Kar98kに装着されている。中央の下士官が持つのはMP38。1941年5~6月、ギリシャ、クレタ島。






前線後方にある武器整備場。机の上に4挺のKar98kが並んでいる。1941年8月、西部戦線。




かなり使い込んで表面仕上げが薄くなったKar98k には銃剣(84/98)が装着されている。1941年夏、ソビエト連邦。




演習中、銃を担いで行軍する兵士。2挺の初期型Kar98Kには金属製銃口カバーが付いており、中央の下士官はMP38を所持している。1941年10月、フランス。




第5歩兵師団第2医療中隊の兵士がKar98kで訓練中。1941年頃、フランス、シャンパニョール近郊。




冬季迷彩に身を包んだ兵士がKar98kを構える。バットプレートは側面の破損も防ぐ改良されたカップ型のプレス製、白磨き仕上げのためシルバーに輝いている。1942年初頭、ソビエト連邦、ホルムの戦い。




1940年にKar98k用のライフルグレネードとしては初めて採用されたGG/P40(Gewehrgranate zur Panzerbekämpfung 40)を持つヘルマンゲーリング装甲師団の兵士。6枚の小さな安定翼を持つ対戦車榴弾が取り付けられており、最大射程約100m、装甲貫徹力は70㎜だったが能力不足が指摘され、後継となるシースベッヒャー2型が開発された。1942年初頭、東部戦線。






武装親衛隊の狙撃兵。武装親衛隊では旧式化したGew98のレシーバーと銃身部品を流用したKar98kをシュタイア・ダイムラー・プフ(Steyr-Daimler-Puch)で独自に生産しており、ショート・サイド・レール・マウント(レシーバー左側面にネジ止めするスコープマウント)と武装親衛隊向けに優先して生産された倍率4倍のスコープ「AJACK 4×90 SS-Dienstglas」を組み合わせて使用している。この狙撃銃はレシーバー上面に製造メーカーや製造年の刻印が無く(改造時に刻印を削り取る加工を行う)、レシーバー各所のプルーフマークがGew98に準じた刻印になっている点で識別できる。

写真の銃も搭載スコープが「AJACK 4×90」でありGew98部品を流用したKar98kの可能性がある。1942年3~4月、ソビエト連邦。






白樺の森を警戒しながら進む武装親衛隊の狙撃兵。ショート・サイド・レール・マウント付き(スコープはAJACK 4×90に似ているが若干の相違点がある)、トリガーガード前方・ボルトハンドルの下に見える小さな穴(Gew98用のスリング金具を取り付ける)はGew98や極初期の一部Kar98kにしかない特徴であることからGew98部品を流用したKar98kの可能性がある。1942年、ソビエト連邦。






写真のキャプション「ドイツ全域からの志願兵が所属するグロースドイッチュラント歩兵連隊の擲弾兵は配備される前に厳しい歩兵訓練を受けている。奇襲に対する訓練。兵士は突進し、突然現れる敵を撃ち、最後に驚くほど飛び跳ねる人形を突き刺す。教官はこの突撃に同行する。」

Kar98kを使い実戦的な訓練を受ける兵士。キャプションの内容からダミーの人形は固定式ではなく、隠れた状態で設置され起き上がる機構を備えているようだ。1942年4月。




駐屯地で休む兵士。白い防水シートにはベルト、弾薬ポーチ、銃剣、雑納などの装備品がかかっており、積層材ストックのKar98kはゴム製銃口キャップが付いている。1942年4月頃、ソビエト連邦。








写真のキャプション「重要な戦闘が行われている場所には必ず、帝国全土からの志願兵が集まる我が軍の部隊「グロースドイッチュラント」歩兵師団が配備される。決定的な前進の日々、師団のバイク乗りたちはとても忙しい。PK記者 Kempe」

グロースドイッチュラント所属サイドカーに負傷した士官(中尉?)が乗り、下士官と会話中。下士官は倍率1.5倍の光学望遠照準器・ZF41が付いたKar98kを所持、バイクの後席に座る兵士は銃口の形状から生産数の少ないワルサー社のG.41(W)を背負っていることが分かる。1942年6月28日、ソビエト連邦。






第一次大戦中に使用されたドイツ軍の狙撃銃はスコープマウントの下に設けられた爪のような形状の突起によって銃本体と接続されており、この方式は第二次大戦の一部の狙撃銃にも採用。爪の本数によってシングル・クロー・マウント(Single Claw Mount)、ダブル・クロー・マウント(Double Claw Mount)の2種類があり、写真のKar98kはダブル・クロー・マウントの中でも前方のマウント支柱がスコープの対物レンズ部分を支えている珍しいタイプ。射手の腰回りには革製のスコープケースが装着されている。1942年6~7月、ソビエト連邦、ヴォロネジ近郊。




Kar98kを構える兵士、双眼鏡で監視する下士官を挟んでPzB39(対戦車ライフル)、奥にはMG34が配置されている。1942年6~7月、ソビエト連邦、ヴォロネジ近郊。







小銃の修理を行う兵士。机の上には初期型Kar98k、分解された機関部、ガスバーナーやノギスなどの工具、地面にも2挺のKar98kが見える。1942年6~7月、ソビエト連邦、クリミア。






砂丘の上で銃剣付きKar98kを構える兵士。1942年8月、フランス/ベルギー、ヴァルヘレン。








角材を組み合わせた簡易な3脚にKar98kを載せ、海岸で射撃訓練を行っている。積層材の木製ストック、平型バットプレート、フロントサイトガード無しなどの特徴から1938~1940年頃の生産品と推測できる。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。








砂浜に設置された木製台の上で伏せ撃ち射撃訓練を実施。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。




上に掲載した写真と同一の撮影。木製のダミー銃を用いて白兵戦の打撃訓練を行っている。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。






ハリコフ近郊におけるソ連軍の撃退や負傷した中隊長救出などの功績により騎士鉄十字章を授与されたフランツ・ドフ(写真中央、左手負傷中)がオーバーラント地区のヒットラーユーゲント・夏季キャンプを訪れた際の写真。少年が手にするのは22口径の弾薬を使用する訓練銃「Kleinkaliber-Wehrsportgewehr・KKW」で各部の形状や寸法はKar98kに近い。安全対策のためか、写真のKKWはボルトが外されている。1942年8月、バイエルン州、バートライヒェンハル。




Kar98kの予備部品を収納する専用木箱(Armourer's Chest)を開けて部品を取り出す兵士。箱の左には2つに割れた木製ストックが転がっており、後方には金属ヤスリ?などが収納された大きな工具箱が見える。1942年夏、ソビエト連邦。




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