■MP38 / MP40 1943~1945年



ドニエプル川沿いをボートで移動する治安警察/警察大隊のメンバー。左はマクシミリアン・フォン・ゾットマン少将、右は側近の副官。どちらもMP40を所持しており、リブの付いたマガジンが装着されている。1943年6月1日、ソビエト連邦、ドニエプル川とクリミア川の間。








自転車を装備したドイツ空軍の兵士が船に乗り海上輸送中。MP40はボルトに安全装置が付いた中期型。手前と奥でマガジンポーチの色が異なっている。1943年夏、オランダ、ヴァルヘレン。






泥だらけの飛行場に駐機する第3夜間戦闘攻撃隊のアラド・Ar66 練習機。着陸後のパイロットはMP40を所持しており、銃口キャップが付いている。1943年夏、ソビエト連邦。






ヴィラ・バローネ・サン・ルチア(地名?)の入り口でMP40を構える降下猟兵。1943年8月、イタリア、シチリア島、アチレアーレ。




降下猟兵第6連隊の兵士。MP40は銃口などの形状から初期型で材質が異なるバレルレスト(アルミ製?)は明るい色に見える。1943年9月10日、イタリア、ローマ近郊、モンテロトンド。




手を上げるイタリア兵捕虜を監視する降下猟兵。1943年9月12日、イタリア、バレッタ。




写真タイトル:SSガリシア義勇兵師団のリーダー
キャプション「ボヘミアの軍事訓練場で行われたSSガリシア義勇師団、リーダーコースの終わりに、軽歩兵用および重歩兵用の武器を使った戦闘射撃訓練が実施された。」

簡易な擬装を施しMP40を持つ訓練中の武装親衛隊兵士。1943年10月、チェコ共和国、レシャン。






多数のドイツ歩兵が休憩中。MP40は中期生産型。1943年または1944年、ギリシャ、クレタ島。






フランスとスペインの国境で警備員を務めるドイツ兵。伍長はホイッスルと典型的な中期生産型の特徴を持つMP40を所持している。1943年、フランス、東ピレネー、セルベール。






3人の兵士(山岳猟兵?)が伏せ撃ちでMP40を構えているがマガジン保持の射撃は給弾不良を引き起こす恐れがある。銃身に付いた安全ストラップから初期型ボルトであると推測できる。1943年、ノルウェー、ラップランド、フィンランド。




森の中でMP38を構える第1コサック騎兵師団の兵士。ソビエト連邦、1943年。







路上で入念な擬装を施し待機するマーダーII。7.5cm対戦車砲の砲架と砲尾に2挺のMP40が設置されている。1943年、イタリア。






木製のダミーMPを持つ訓練中の降下猟兵。1943年、イタリア。




雪が積もった斜面でMP40を発砲する降下猟兵。薬莢も散乱している。3段の伸縮式チューブに収められたリコイルスプリングが圧縮される際、内部の空気がバッファーの役割を果たすためMP40の発射レートは500発/秒と遅く、コントロールしやすい。1943年後半または1944年前半、イタリア北部。






マガジンハウジングにリブが無い初期生産型のMP40を背負った降下猟兵。ボルトは安全装置付きなので交換されている。1943年後半または1944年前半、イタリア北部。




冬季迷彩服を着た他国籍の志願兵。MP40は初期型に見える。1943年12月または1944年1月、ノルウェー。




2級鉄十字章を身に着けMP40を持つ兵士。空いたエジェクションポートの奥には9×19㎜弾が見える。1944年1~2月、ソビエト連邦。




冬季迷彩のヘルメット、1級鉄十字章や白兵戦章を付けたベテランの伍長。MP40は安全装置付きボルトハンドルとなっており、銃身下部のバレルレストは紛失している。1944年1~2月、ソビエト連邦。






塹壕内でパンツァーシュレック(保護シールドが無い初期型)にロケット弾を装填中。M24型柄付手榴弾と共に置かれたMP40はシュタイヤー社で1943年以降に生産されたタイプに見える。トリガーガードの厚みがやや太くなり(ラージ・トリガーガードと呼ばれる)、1枚の鋼板をプレスして製作(これ以前のピストルグリップは2つのプレス部品を溶接)される。バレル固定ナットは2面カットの簡易型、樹脂製のバレルレストは欠損。1944年4~5月、イタリア。








草むらに身を隠しながら遠方の地形を観察する降下猟兵。MP40はバレル固定ナットが2面カットとなった中期以降の生産型。1944年6~7月、フランス。






ワルシャワ蜂起で第36SS武装擲弾兵師団を含む武装親衛隊の隊員が市街戦を展開している。MP40、Kar98k、チェコスロバキアのブルーノ造兵廠で生産された小銃・G.24(t)が確認でき、各銃は安全装置が掛かった状態にある。1944年8月頃、ポーランド、ワルシャワ。






写真キャプション「フランス北部、1944年8月末、前線に向かうドイツ国防軍の中隊記者。彼らは何日も連絡を取っていなかった仲間たちに最新の新聞を届ける。」

MP40にはゴム製の銃口カバーとKar98k用スリングが付いており、ボルトハンドルが少しだけ後退した位置で止まっている。1944年8月末、フランス。











リブありマガジンとゴム製銃口カバーの付いたMP38を持つ武装親衛隊の士官。掲載した2枚は背景が異なるが同一人物と思われる。1944年夏、フランス。






草むらに横たわって休憩する降下猟兵。MP40はシュタイヤー社で生産された末期型。バレル固定ナットは2面カット。1枚の鋼板からプレス加工されたピストルグリップはさらに生産性が向上した形状になっており、レシーバーとの接合も溶接となった(従来型はマイナスネジで固定)。またグリップ部品とレシーバーの接合を強化するため、レシーバーエンドと後部スリング通しの上面に金属プレートが溶接(赤矢印)された。1944年夏、フランス、ノルマンディー。




銃口キャップを付けたMP40を持つ降下猟兵。1944年9月、西部戦線。






街角で撮影された降下猟兵。トリガーガードの厚みが増した後期型のグリップと2面カットのバレルナットを持つMP40。1944年、イタリア。






ノルマンディーの海岸線でMP40を構える降下猟兵。ボルトは前進位置にあり射撃状態ではない。1944年、フランス。




写真キャプション「避けられない終結を遅らせるために、ナチス一派は1944年10月18日、ファシスト最後の部隊である「国民突撃隊」に16歳から60歳の男性全員を総動員すると発表した。この写真は東プロイセンの国民突撃隊にいた16歳の少年。」

少年が持つMP40は2面カットのバレルナットから中期以降の生産型。1944年10月。






写真キャプション「1944年、ドイツ最後の部隊。グロースドイッチュラントの補充旅団が国民突撃隊の小隊長を訓練する。」

MP40の取り扱い・射撃訓練。MP40はスリングの摩耗もなく新品のように見える。1944年末。






撮影場所が不明の市街戦。MP40は2面カットのバレルナットでボルトはコッキングされた射撃位置、後方には火炎放射器を持った兵士が待機している。1945年。




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