MP44・Stg44 / Maschinenpistole 44・Sturmgewehr 44



1000メートル以上の交戦距離でも威力を発揮する7.92×57mm弾と200メートルまでの近距離での戦闘で使われる9mmパラベラム弾を主要な小火器弾薬として第二次大戦に突入したドイツ軍であったが、実際の歩兵戦闘がおこなわれる交戦距離は徐々に短くなり、第二次大戦では400メートル以下がほとんどであった。この流れを第一次大戦中に早くも掴んでいたドイツ軍兵器局は1920年前半から7.92×57mm弾と9mmパラベラム弾の中間の性能を持つ新型弾薬の開発が進められ、1938年に7.92×33mmクルツ弾(詳細はこちら)が誕生した。

その一方で、単発式のボルトアクションライフル(Kar98k)を主要装備としていたドイツ軍歩兵部隊の火力強化のため、7.92mm×57mm弾を使用するセミオートやフルオート射撃が可能な銃の開発が進み、G.41やG.43(共にセミオート)、FG42(フルオート)などが正式配備となったが、特にフルオート射撃時の強力な反動による命中率の低下は課題となった。

このような経緯からフルート射撃での安定したコントロール性と実際の交戦距離に即した7.92mm×33mmクルツ弾を使用する新型小銃の開発が各社でスタート。1941年、兵器局からの開発要求のもと、ハーネル社はヒューゴ・シュマイザーが設計をしたMkb42(H)、ワルサー社はMkb42(W)を試作し、双方がテストされた。どちらもプレス部品を大幅に取り入れて生産性を向上させた設計となっており、Mkb42(H)はオープンボルト方式で従来の短機関銃に近い構造、Mkb42(W)はクローズドボルト方式のため命中精度の点ではMkb42(H)に勝ったが、作動の信頼性や分解の容易性などで劣っており1942年にはMkb42(H)が選ばれた。若干の改良を施したMkb42(H)は1942年11月から1943年の頭にかけて約11,000挺が生産され、実戦部隊へ配備された。

扱い易く、高い火力を発揮するMkb42(H)は配備部隊からも高評価であったが、新しいクルツ弾の使用によって、既存弾薬の生産性低下や弾薬供給の混乱が生じる可能性を危惧したヒトラーは本銃の開発と生産を停止させる指示を出した。しかし、前線部隊からの配備要求は依然として高く、部隊への少量配備と実戦テストは進められていた。この優れた銃の生産を継続させるためにMkb42(H)をクローズドボルト方式に改良し、ガスピストン形状などを変更したものをMP43/1と命名。短機関銃を表す「MP」という名称にすることで、既存銃の改良型のように見せかけてヒトラーをごまかす方策がとられた。

1943年12月、MP43/1は、レシーバー側面に設けられていた狙撃スコープ(ZF41とZF4用)のマウント廃止とkar98k用のライフルグレネードを装着するためにバレル前部に段差を設けるなどの改良を施し「MP43」となって生産が続けられた。ヒトラーの命令に反して生産されていたMP43であったが、前線で戦う将兵からの本銃への配備要求は高まる一方となり、ついに現場の要望を無視できなくなったヒトラーはこの新型銃の価値を受け入れて、生産の許可を出した。現場の要望とヒトラーとの板挟みの中、隠ぺい工作を続けて開発・改良・実戦テストを続けてきたドイツ陸軍兵器局の努力が実を結んだ。

1944年4月にはヒトラーの指示により「MP44」と名称を変更した同銃は、高い火力と反動の少ない容易なコントロール性をもって優れた性能を発揮し、前線からの評価はさらに高いものとなった。このような流れから、ヒトラーは新たなカテゴリーに属する新型銃をアピールするために「Sturmgewehr」※突撃銃という用語を用いて「Stg44」という名称に変更した。MP43・MP44・Stg44は終戦までに約424,000挺が生産されたが、敗戦に向かう混乱期の中で満足に部隊へ配備されず、膨大な部品在庫を残して敗戦を迎えている。ドイツ敗戦への大きな渦に巻き込まれて満足な結果を残せなかった本銃であるが、先進性のある優れた設計思想と構造は戦後に開発されたアサルトライフルの元祖として大きな存在感を示している。



■各部のディテール紹介

・MP44の全体写真

・レシーバー その1


・レシーバー その2

・銃身・銃口・ハンドガード

・フロントサイト・リアサイト・ストック

・マガジン

・刻印



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