ドイツ軍小火器用弾薬の生産数




1939年9月から1944年12月までに生産されたドイツ軍小火器弾薬の生産数を示したグラフ。7.92×57㎜弾が灰色、9×19㎜弾が水色、7.92×33㎜弾を黒色で示し、3種類をまとめて掲示している。

グラフ縦列:弾薬の生産数   グラフ横列:弾薬の生産月

例えば1941年1月では、7.92×57㎜弾が1億500万発、9×19㎜弾は3000万発が生産されている。



■7.92×57㎜ モーゼル弾


ドイツ陸軍の根幹を成す各種小銃や機関銃に幅広く使用されており、上記グラフの期間内では総計で約119億発という膨大な生産数を記録している。大量の弾薬を消費する発射速度の高い機関銃(MG34とMG42)が歩兵火力の根幹を成していたドイツ陸軍は、拡大していく軍備と戦線に対して大量の弾薬を円滑に供給するという難題に対処していった。

各年の合計生産数と平均の月産数
※39年は4か月のみ

1939年    合計:11.1億発  平均:2.8億発
1940年    合計:26.1億発  平均:2.2億発
1941年    合計: 8.9億発   平均:0.7億発
1942年    合計: 7.9億発   平均:0.6億発
1943年    合計:24.2億発  平均:2.0億発
1944年    合計:40.8億発  平均:3.4億発

1938年4月の時点でドイツ軍が保有していた7.92×57㎜弾の在庫は約36億発。1940年5月から6月までのフランス侵攻では約1.8億発を消費。1940年7月から12月末までの弾薬消費量は月平均で2,500万発となっており、既存の弾薬在庫と月平均2.2億発の生産実績により弾薬供給は万全、在庫は過剰気味と思われた。そのため41年以降は弾薬生産数を減らし、弾薬製造に掛かる膨大な支出を抑え、労力を他の生産に振り替えた。しかし、41年6月に開始されたバルバロッサ作戦を契機に対ソビエト戦が拡大すると弾薬の消費量が急増し、備蓄量が低下。これに危機感を抱いた軍首脳部は42年4月に弾薬生産量を引き上げる計画を実施したため、43年以降は回復傾向となり、44年には大幅な増産となっている。生産のピークは44年11月の3.7億発。




■9×19㎜ パラベラム弾

拳銃やMP40などの短機関銃に使用。グラフの期間中は約27億発の生産数。

各年の合計生産数と平均の月産数
※39年は4か月のみ

1939年    合計:0.4億発  平均:0.1億発
1940年    合計:2.8億発  平均:0.24億発
1941年    合計:4.6億発  平均:0.38億発
1942年    合計:5.6億発  平均:0.46億発
1943年    合計:7.5億発  平均:0.63億発
1944年    合計:6.4億発  平均:0.54億発

43年までは緩やかに生産数が増加しているが、44年になるとやや減少傾向となる。これはMP44/Stg44(7.92×33㎜弾)の配備が影響していると思われる。




■7.92×33㎜ クルツ弾


小銃弾と拳銃弾の中間に位置する新型弾薬として登場したクルツ弾は1941年から少量生産を開始。本弾薬を採用した新型自動小銃、Mkb42(W)とMkb42(H)が1942年に実戦投入、1943年にはMP43が採用されているため上記グラフには44年以前の生産数が記載されていないが、42年は500万発、43年は2300万発が生産されている。

44年1・2月には僅か月産1000万発であった生産数は44年末までには月産1億発に到達。44年の合計生産数は6.2億発となった。1945年までの総生産数は約12億発。

戦況の悪化や連合軍による爆撃の影響を受ける中、44年11月に小火器用弾薬の生産量がピークを記録した裏には大変な苦労があったことが想像できる。しかしながら当初、44年末の目標として掲げていたクルツ弾の月産は4億発。7.92×57㎜弾を増産しつつクルツ弾を生産することがいかに実現困難であるかはグラフを見れば容易に想像ができる。

想定の僅か1/4という生産数では前線へ配備されるMP44/Stg44の消費量を補うことはできず、慢性的な弾薬不足となった。緊急時を除きフルオート射撃は控える命令があったという話しも真実味を帯びてくる。




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